2007/10/20
ナンバーワン・コンストラクション/鹿島田真希
──────────
あの人は憎んでいない人のことも苦しめる。愛している人のことも。きっとそういう人なんだわ。あの人が誰かを苦しめること、悪に身を染めることに理由なんてないんだわ。それは快楽? いいえそれも違うわ。あの人はその類の人でもない。だって私に罰を与えたあの時のあの人は、どこかつまらなそう。つまらなそうで、しらけていたし、そして苦しそうだった。あの人の罰は性愛じゃない。性愛すらおそらく信じていない。彼はなにも信じていないわ。
──────────
第135回芥川龍之介賞候補作。
上の引用を読んで、ものすごい異和感をもった人も多いと思います。
俺も、正直この作品は苦手なのですが、あえて紹介します。
会話から文体、メタファなどが異様に古臭い。会話に関しては、19世紀のロシア文学の翻訳調の文体を意識していたり、トルストイの小説のモチーフが使用されていたり、議論ばかりしていたりと、いろんな意味で時代錯誤的な小説です。
おかげで、読者に一切の感情移入を拒んでいる。ついでに、何だか可笑しな悪意まであり、そういう意味では、この作品は中原昌也の小説に近いような気がします。意外と笑いの感覚が似ているのかも。
こういう箇所があります。
──────────
大抵の人間は無根拠を知ると、落ち着きをなくして苦しむ。自分のやっていることの無意味、志が取るに足りないということ、自身の存在への不信。それらは絶望につながる。今、彼はじわじわと無根拠に蝕まれつつある。
──────────
中原昌也が小説で言っていることに似ていると思いました。
他には、鹿島田真希特有の、宗教上の贖罪と赦しがはいってくる。あと、結末の下世話さ。「建設」が重要なテーマです。登場するS教授は建設史家ですし。
登場人物はおもに四人(S教授、M青年、少女、N先生)なのですが、彼らの関係がかなりアンバランスで、あちこち行ってしまう。
笑えるのは、やはりラストと、彼ら登場人物の会話および独白。いまどき、そんなこと言う奴いないだろ、という感じですが、そのばかばかしさが面白い。
たとえば、この場面。
──────────
「これは彼女へのプレゼントです。これからお祝いするんですよ。今日はきっと二人の記念日になる。そんな気がします。」
N講師は恍惚としてそう答えた。
「まあ、どんな記念日でしょう。とにかくおあがりになって」
N講師と母親がプレゼントの包み紙を開けるように促すので少女は袋を開けた。ぐったりした子猫が震えながら、弱々しい足取りで袋から出てきた。少女の体に悪寒が走った。
「どうだい。素敵なプレゼントだろ? 君が以前猫を飼いたいと言っていたから買ってきたんだよ」
「そうね」
少女は青ざめて頷いた。
「なんてかわいい子猫ちゃんなんでしょう。種類はなんですの」
「アメリカンショートヘアです。血統証つきですよ」
「こんな高価なプレゼントをいただけるなんて、うちの娘は幸せものね」
「お母さん。この猫具合が悪そうだわ。看てあげて」
「はいはいわかりました。お前ったら私と先生が話をしているとすぐに遮るんだから。きっとやきもちね。台所にタオルを敷いて寝かせてあげましょう」
──────────
このような会話が、まるで「エルム街の悪夢」のように続いて、ちょっと目眩がしますね。
それから、ラスト1頁。
ここは秀逸ですね。S教授はカフェで働いている少女が好きだったのですが、最後がそのカフェのシーン。
S教授がホットサンドからこぼれたターキーとレタスについて文句を言うシーン。これだけで笑えるのですが、そのあとがもっと面白い。
──────────
彼はまさかと思って走ってスタンドまで行った。
「このサンドイッチを作ったのは誰だ!」
彼は怒鳴った。
「私だけど、文句ある?」
彼女ではなかった。浅黒い、背の高い女性が胸をはって出てきた。
「このサンドイッチのマヨネーズはなんだ! あんなに楽しみにしていたのに。気が狂いそうだ!」
(略)
女性は彼に平手打ちを食らわした。
「馬鹿じゃないの。変態」
彼女は相変わらず胸をはっていた。きっぱりと一直線に切りそろえられた前髪の下から、大きく美しい瞳が彼を見つめていた。教授は恥ずかしくなって、下を向いたが、彼女のネームプレートを見ることを忘れはしなかった。
──────────
ここまで読まされて、このオチかよ! と、突っ込みたくなりますが、まあ面白いですね。
最後にS教授の心変わり、という。
ただこの作品には決定的な問題があって、それは最後のほうで、この作品の意図をすべて説明してしまっていることです。メタファとか何から何まで。
これは小説としては、かなりの欠点でしょう。
「人の心は都市のようだ。文節と更新を繰り返す。N講師は赦しという言葉によって、無意識から意識へと更新された」とか、「人はその歩みにまばゆいばかりの悦楽を得る。そして死すべき運命であることを忘れる」とか、お前いったい誰!!?? と言っちゃうような文体で。
なぜ、こんなことをしたのか考えると、これは第135回芥川賞候補作ですね(ちなみにこの回には中原昌也も候補でした)。つまり、これは鹿島田真希なりの、芥川賞への対策だったのかもしれません。なにしろ選考委員には、石原慎太郎という壁があるので(それにしたってこれはひどいでしょ。おまけに、中原昌也と共に一番に落とされた)。
だからということでもないですが、鹿島田作品のなかではテーマがわかりやすく、建設理論を人間のありようとか世界の構造のメタファとかいうことを、たぶんわざと解るようにしているので、さほど難解な作品ではありません。
それに、この作品はちっとも映像的ではなく、小説でしか出来ないことに果敢に挑戦しているとも思うので、あまり文句は言いません。
でも、鹿島田作品のなかでは中の下というクラス。
初心者には無難に、『六〇〇〇度の愛』などをおすすめしますがね。
基本的には、読みごたえある作家ですし。
スポンサーサイト