fc2ブログ

溺レる/川上弘美


──────────

「モウリさん何から逃げてるの」逃げはじめのころに聞いたことがあった。モウリさんは首を少しかしげて、
「まあ、いろんなものからね」と答えたのだった。「中ではとりわけ、リフジンなものから逃げてるということでしょうかねえ」
「リフジンなものですか」ぽかんと口を開けてモウリさんを仰ぎ見ると、モウリさんは照れたように目を細め、何回か頷いた。
「リフジンなものからはね、逃げなければいけませんよ」
「はあ」
「コマキさんは何から逃げてるんですか」

「溺レる」より

──────────

第11回伊藤整文学賞、第39回女流文学賞受賞作。

この本を読んだのは、去年ですが、いまだ印象に残っています。川上弘美はひらがなと漢字とカタカナの使い方が半端じゃなくうまいですね。
表題作をふくめた全八編からなる短篇集です。

『センセイの鞄』を読んだときも思いましたが、川上弘美の小説の人物たちはいつも何かを食べている。
「さやさや」の主人公と男はむやみにしゃこを食べ、「百年」の主人公は寿司屋のおやじが困ってしまうほどシンコばかり食べる。食べる。食べつづける。後者の場合は心中まえのやけ食いとも言えますが。しかし何か動機があって食べているわけではないらしい。楽しんでいるとも思えないし、ただ黙々とシンコならシンコにのめりこむ。シンコを食べつづけることで、それ以外のことを忘れられるわけだろうか。
つまりは、逃げるために食べる。
この短篇集の男女は、逃げている者たちが多い。しかも、「カケオチ」とか「ミチユキ」とかみたいに色っぽいものではない。「無名」の男女のように死後500年たっても逃げ続けている奴らがいると思えば、今から逃げだそうとする奴らもいる。いろいろだ。
逃げるとは、はたして何からか。それは世間からだ。そこから、彼らはどこまで行けるのか。
それだけだと、ありきたりなつまらない小説だと思うでしょう。

「さやさや」の男女はしゃこを食い終わったあと、「人家もなくなり電信柱も稀になった」夜道を、とぼとぼ行く。
「七面鳥が」の男女は、オクラとめざしとホルモン焼きかなにかでいっぱい呑んで、店の外に出て歩く。その場所は「夜が、暗い。こんなにも暗い土地だったろうか」。
とりあえず、暗い場所に行く。しかしまだこれからだ。行きずりの不動産屋でみかけた「四畳半トイレ・歩五分・新築・一万五千」のアパートやら、10分おきにぐらぐら揺れる線路沿いの部屋やら、さらに向こうには高速道路の横転事故でオシャカになったり、日本海の自殺名所からのとびおり自殺で一抹の最期がある。
逃亡のはて、死がある。
暗いが、男女はそれなりに楽しくやっているかもしれない。
世間の責任や義務から逃亡していて、暇がありあまっている。だから、真っ昼間からそれ一間しかない安アパートの日当たりのいい六畳間で「溺レる」。「アイヨクに溺レる」。
まあ、溺レるのは食べるのと同じような、そういうものなので、あまり良いもんじゃないけれど。
しかしある瞬間に、パッと明かりが射したりする。
ただの明かりではない。世間の裏側にいて初めてみることができる、普通ではない、ちがう明かりである。
彼らはもう、帰ることができないらしい。

──────────

「コマキさん、もう帰れないよ、きっと」
「帰れないかな」
「帰れないなぼくは」
「それじゃ、帰らなければいい」
「君は帰るの」
「帰らない」
モウリさんといつまでも一緒に逃げるの。
その言葉は言わないで、モウリさんに身を寄せた。モウリさんは小学生みたいになって泣いていた。

「溺レる」より

──────────

もう帰ることの出来ない場所にいるのだ。この短篇集の男女は子供みたいである。大人になることから、逃げたい。そう感じているようにみえる。
それから、男に誘われて女は逃げる。
きれいな女ではない。つまらない女とだ。ある女は「おおかたの人から、あんたと居るのはつまらない、と言われた」り、別の女は、男が部屋に帰っても「部屋の中の電気はついておらず、畳にじっと座ったり寝そべったりしたまま、本を読むわけでもなく仕事をするわけでもなくものを食べるわけでもなく、いちにち茫然と過ごして」いるらしい。

ちょっと、内田百間を思いだす。なんでだかわからないけれど。

彼女たちは皆、男とともに「溺レ」ていく。つまらない女と一緒にいると、帰れなくなるらしい。
幸運なことに、これらは小説の中の出来事であり、またあるいは、小説そのものが出来事でもある。
逃げることは帰る場所をうしなうことなのでしょうか。
それかいっそ、「アイヨクに溺レ」たほうがいいのでしょうか。
それもまた、この小説のなかの彼らの人生です。

──────────

僕は虫が食えなくてさ。トキコさん、虫はどう。トキコさん、七面鳥飼うの、やめろよ。飼うなら文鳥がいいよ。トキコさん、また酒飲みたくなってきたな。トキコさん、僕は眠たくなってきた、もう帰ろう。もう帰って、眠ろう。うん、うん、とわたしは頷いた。足は鉛のように重く、わたしもハシバさんも歩いているのにほとんど進まない。とりとめもなく、わたしたちはどこかに向かって歩いてゆく。おそろしい、おそろしい、と思いながら、どこやらに向かって、歩いてゆく。

「七面鳥が」より

──────────

スポンサーサイト



by 竹永翔一  at 14:21 |  書評 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
Comments
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する