2007/10/11
蹴りたい背中/綿矢りさ
──────────
さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。
──────────
第130回芥川賞受賞作。
あまりに有名なこの出だし。すばらしい悪意にみちてますね。「(苦笑)」があるのが、余計に痛々しくてせつない。
『インストール』は正直、途中で読むのを辞めてしまったのですが、この作品はとっても楽しめた。
まず、この文章。感覚に毛穴ってもんがあるなら、そこから汗みたいに流れでてくる言葉が綿矢りさの言葉だろう。
主人公の長谷川初実は、高校に入って友達をひとりも作っていない。「私は、余り者も嫌だけど、グループはもっと嫌」というスタンスの下、単独行動者として学校で肩身のせまい毎日をおくる。クラスにはもう一人の余り者、「にな川」がいて、何となく彼の家に行ったり話したりしている。
友達ではない。でも恋人でもない。
この「友達でも恋人でもない」関係が続くわけですが、おそらくこの作品で重要なポイントのひとつがそれでしょう。
すっごく微妙な関係。恋愛感情みたいなのが湧いたとか、作中では説明されていません。
初実はにな川と理科の実験で同じ班になって、彼がモデルのオリちゃんのファンであることを知るのだが、実は初実は中学のころにそのモデルに会ったことがあった、たまたまではあるが。
にな川はそれを聞き、なぜか「魂も一緒に抜け出ていきそうな、深いため息を」つく。
にな川はこの場面でちょっとした奇行にでます。教科書に線を引きまくったり、ペン先を教科書に押しつけたり、初実をみつめたり。
重要な箇所はここで、彼は「がらんどうの瞳で」初実を見つめていた。初実はそれを、「ちょっと死相出てた。」と形容する。「私を見ているようで見ていない彼の目は、生気がごっそり抜け落ち」たように「完全に停電していた」にな川の瞳。
そう、にな川は初実ではなく、初実の向こう側にいるオリちゃんを見つめていたのだ。
その様子を、「ちょっと死相出てた。」と初実は言ったが、それはたぶん、その瞬間彼は死んでたんじゃないだろうか。向こう側にいるオリちゃんを見つめるために。
遠い彼方をみつめるその姿をこのように描写した綿矢りさはすごい。
個人的に、中学生の初実が無印のカフェでオリちゃんと外人カメラマンに会ったときの場面が印象的でした。「私」は毎朝朝食がわりにそのカフェで試食用のコーンフレークを食べているのだが、ある日偶然オリちゃんと外人カメラマンに遭遇した。
二人は初実に近づき、不躾ともとれる態度でふるまう。この場面の初実は、あきらかに緊張している。でもそんなのおくびにも出さない。むしろ虚勢を張っているかのような態度で、二人の「お酒くさい」大人に接します。オリちゃんは「もののけ姫みたい」な「私」の足を誉める。初実は内心嬉しいのですが、態度にだしません。大人っぽく振る舞おうとして、背伸びしている感があります。
そして、カメラマンはオリちゃんに、コーンフレークを「なんだかエッチな」態勢で食べさせ、彼は初実の口にもそれをもってきます。「私」は、「あんまり食べたくない」が、「しらけた空気が怖い」し、うまくいけば「この人たちの仲間になれるかもしれない」と、オリちゃんのまねをして食べますが、カメラマンの「男の人は、気味悪がっていた」。
これは、カメラマンの男が初実の意図する気持ちをわからないから起こった、決定的なディスコミュニケーションです。さらに、「私」が「あわてて媚びるような照れ笑いを作った」とたん、オリちゃんの「笑顔の温度が低く」なる。ふたりはすっかり「酔いが醒めたという顔をして」、「店を出」た。そう、彼らは大人で、初実は中学生だ。仲間にはなれない。
非常に印象にのこりました。こういう表現の仕方もあるのか、と。
初実はにな川の家に来た二回目に、オリちゃんのアイコラを見つけるのですが、それを見て彼女は、無性ににな川の「背中を蹴りたい」と思う。この描写も非常にすばらしくリアルで、目をみはります。
これは一種の、ゆがんだ性欲なのでしょう。
──────────
彼の背中で人知れず青く内出血している痣を想像すると愛しくって、さらに指で押してみたくなった。乱暴な欲望はとどまらない。
──────────
次に印象に残ったのが、この場面と結末です。
帰ろうとして立ち上がった初実は、「膝から下の力が抜けて、スローモーションのような尻もちをつ」く。
なぜ尻もちをついたのか。
結末、ベランダで寝ているにな川の背中を、蹴ろうとします。しかしにな川に気づかれそうになり、とっさに「ベランダの窓枠」にあたったんじゃないと嘘をつきます。窓枠をみつめるにな川。それから、「私の足」をみる。
気づかない振りをしてそっぽを向いていたら、「はく息が震えた」。
一体、何なのか、考えてみるとすぐわかりました。
初実は興奮していたのです。自分のあらがいがたい欲望に。
「いためつけたい。蹴りたい」背中をもつにな川に。
いずれの場面も、初実の興奮を表していたのでしょう。
結末からは、緊張と激しい何かが伝わってきます。
これらすべてを、綿矢りさのあの「日本語」で描写されたら、たまったもんじゃありません。
積み木を崩すようなその文章からは、「愛しい」よりも、「もっと乱暴な」気持ちがありありと浮かんできます。
──────────
「痛いの好き?」
痛いの好きだったら、きっともう私は蹴らなくなるだろう。だって蹴っている方も蹴られている方も歓んでいるなんて、なんだか不潔だ。
「大っ嫌いだよ。なんでそんなこと聞くの。」
──────────
スポンサーサイト