fc2ブログ

暗渠の宿/西村賢太



──────────

都電の線路を足ばやに横ぎり、ガード下をぬけたところでもう一度振りむいてみたが、それと気になる人物や車両はなかった。根が小心者にできてるだけ、最後に吐き残した暴言のことで連絡を受けたその店の者が追っかけてきはしまいかとヘンに気にかかったものだが、どうやら杞憂のようであった。それでやっと日常に立ち戻った思いになり、すでに閑散とした駅前からのだらだら坂を地下鉄の入口にむかってのぼりながら、私はしみじみ女が欲しい、と思った。

『けがれなき酒のへど』より

──────────

西村賢太の『暗渠の宿』を読みました。
非常にばかばかしい話が二編、収録されています。「ばかばかしい」というのは、でもこの場合ほめ言葉です。ばかばかしく素晴らしい作品集でした。

うえの引用を読めばわかるとおり、文体がものすごく近代文学の影響をうけています。自分の恋人を「女」「私の女」と言ったり、台詞が「しかし何だぜ……」など、かなり近代文学を意識していることがわかります。
西村賢太は、2004年に『文學界』からデビューしたのですが、今時の新人がこのての文体を使うということは、あきらかに近代文学に傾倒しているんでしょう。
事実、作品中でもその近代文学オタクっぷりが発揮されてます。

主人公はいつも同一人物で、つまりは私小説です。俺はあまり近代文学が好きではないし、私小説もそんなに読んでこなかったつもりですが、西村賢太はすばらしい私小説作家、いや、本の帯で豊崎由美が言っているように「全身私小説家」です。

主人公の「私(=西村賢太)」は、ものすごく情けない男です。恋人はなかなか出来ず、出来ても暴力をふるって暴力をあびせたり、特に食べ物の場面でよくカタストロフが生じます。問題になるのが常に金のことだというのも可笑しいですし、恋人の父親からも借金をしていると、作中では述べられています(どこまで本当か怪しいものですが)。
「私」は、藤澤清造という大正期の作家に傾倒しており、彼の「没後弟子」とまで自称しています。「私」はその藤澤清造の全集をつくろうと資金繰りをしているが、なかなか貯まらない。資金を預けている古本屋の主人に勝手に使われたり、女のために使ったりと、むしろ減っているみたい。
ちなみに西村賢太自身も、藤澤清造の全集を刊行しようと資金繰りをしています。

『けがれなき酒のへど』では、なかなか恋人ができず、風俗で性欲の処理を行っていた「私」が、ある日タイプの風俗嬢に出会い、その彼女に騙されて捨てられるまでの過程を描いてますが、捨てられることが最初からわかるように書かれているところが、近代文学的です。
それでもって、この主人公の情けなさはより顕著になるのがわかって、非常に楽しめます。

『暗渠の宿』では、「私」にやっと恋人ができ、その恋人と同棲するのですが、ある突発的な出来事から彼女に暴力をふるってしまう。それがどんどん加速していく話ですが、最後の一行はすばらしく情けないです。

もう一度言いますが、西村賢太の書く小説はすべて私小説です。しかもほぼ自分のことを正確に書いている作家。
それを踏まえてみても、人間としてここまで最低な奴がいるのかと、やや心配にもなりますが、やはり、可笑しいのです。
情けない男が女を得るための努力話と、情けない男が女を得てからの堕落(?)を描いたこの作品集は、いままで読んだ私小説のなかでもトップクラスの面白さです。

21世紀にもなってこんなことをやっている西村賢太もすばらしいですが、何よりまず、作品の端端から、藤澤清造に対する愛着が垣間見えて、可愛らしくもあるけど、次の瞬間一気に脱力する。
そんな男の話です。

西村賢太はこんな時代錯誤なことをしてまで、なぜ私小説を書くのでしょうか。それは、小説にどっぷりと浸かり、そこから上がれないからなのでしょうか。

でもとにかく、ばかばかしいことこの上ないこの小説は、すばらしい出来なのでした。

──────────

初め、これにも文句は言うまいと努力し、二口、三口と啜り込んでみたが、その食えぬ程ではないにしろ、決して納得のゆくものではない面白くなさは、何から何まで私の言に背いたこの女への怒りの感情に同化し、そこへよせばいいのに女が、「どう?」なぞ、何か褒め言葉を期待するような口調で聞いてきたのがたまらなく癪にさわり、つい反射的に箸をどんぶりの中に放ると、
「どうもこうも、あるもんか」と、言ってしまった。
「え」
「まずい」
「えっ、まずかった?」
「ああ、まずいよ。まず過ぎて、お話にならないね。誰がこんなにくたくたになるまで煮込んでくれと頼んだんだよ。ここは養老院の食堂じゃないんだぜ。おまえはぼくの言うことを何ひとつ聞いてやしないんだな。固めにしてって言ったろうが!」

『暗渠の宿』より

──────────

スポンサーサイト



by 竹永翔一  at 11:29 |  書評 |  comment (3)  |  trackback (0)  |  page top ↑
Comments

コンタクトレンズ・ケア用品

コンタクトレンズ・ケア用品を探すなら http://www.umaiumai.biz/100938/205789/
by  2008/11/10 15:36  URL [ 編集 ]

プーマポータル

プーマの検索サイト。ジャパン、スニーカー、ジャージ、ゴルフ、シューズなどプーマに関する各種情報をお届けしています。 http://lactometer.hartmerrell.com/
by  2008/11/30 18:19  URL [ 編集 ]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
by  2009/03/29 20:40   [ 編集 ]
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する